翠川 秋子。 日本初の女性アナウンサーが子どもをおいて年下男子と失踪、海へ……「翠川秋子心中事件」とは

私は決心した」と決意したこと、数多くの職業体験の苦労とそこから生まれた子どもらへの思いもつづられている。
私の命を縮めてもみんなの生活がなんとか安定しますようにと、あたかも自分の命数が千万年もあるかのような無理な願いも起こしてみた」……。 東朝の見出しにある「母から女へ逆転」に戸惑いを隠せなかったということだろう。 「翠川秋子女史の年下の青年との情死事件は、同女史の家出当時、『母の務め終われり』として一人行方をくらましたと一般に考えられていただけに、意外な感を抱かせました。 文章によれば、秋子から8月5日付の手紙が届いたのは、家出が報じられた翌日の8月7日だったという。 つまり、「子育ての義務を果たした母」から「年下の男との恋情に殉じた女」への転換。 「職業婦人座談会」では会社事務員やバス車掌らが男女差別の実態などで意見を交わしている。
大正時代、小学校の低学年だった荻野先生は、鉱石ラジオという、レシーバーを片方の耳に、くっつけて聞くラジオで、お母様の放送を、聞いた。 詳しい事情は日をあらためて拝姿のうえ申し上げますから、いまふりかかった、私の生死の間をさまよっている境遇をお救いくださる意味で25円電報為替で送ってください。 「新名常務理事は『翠川さんは新年早々辞表を出されまして、一身上の都合でぜひ辞めなければならないからと言われますから、ことに婦人のことでもあり、別に干渉がましいことを言わずに聞き届けました』、と簡単に受け流していたが、昨日まで机を並べて仕事をしていた同僚や、職務上当然退職などについて知らなくてはならない地位にある人までが『何で辞めたか一切知りません』と逃げていた」と書いている。 記事本文は次のようだ。 国策通信社の同盟通信社が発行していた「国際写真新聞」9月8日号は「怪しからん・だが・近代的な… 翠川秋子情死事件と母親興行化映画」の見出しで「日活と松竹という、日本における最大最古の両映画会社が堂々と映画化、満天下に発表するというのである」と伝えている。 〈四十年 有耶無耶(うやむや)にして 今朝の露 千坊(秋子の俳号)〉 「悲痛な遺書が語る通り、死の決心をもって家を出た翠川氏が、静かに省みることによって自分を取り戻し、も一度生きる決心をした時、追いかけてくる無理解な世間の批評と賛美が、彼女を抜き差しのならないような立場に置いてしまった」と新保は書いている。 中からヘビの革の女物の煙草入れと丸い琥珀が出てきた。 その帰りの列車中で初めて女史を知った」。 つまり、「子育ての義務を果たした母」から「年下の男との恋情に殉じた女」への転換。 また、荻野先生が、タップのパイオニアであるように、荻野先生のお母さまが、 翠川 みどりかわ秋子という、NHKの初代の女性アナウンサーだった、という事を知ったのも、 驚 おどろきだった。
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