リアム ピッカー。 7本の指で奏でるピアニストのお話|Tomoka|note

今までの事すべてに感謝し、病気をギフト、と言える心境までたどりつくには、想像できないご苦労があったことと思います。 けれども彼のお母さんのリサ・ピッカーって言うんですけど。 西川さんの優しくて明るくてお茶目なお人柄が番組の中にギュッと凝縮されていたような、そんな温かい番組だったように思う。 人生の約半分は、向こうですね。 だから、コンサートなども変わらず、しばらくやっていました。
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彼は才能溢れる若きピアニスト兼作曲家 志村:すごいね〜〜〜〜
けど、ニューヨークという大都会の中にいる僕に、しかも日本で生まれて地球の反対から来た僕が、ニューヨークという何千万人も人が住んでる土地の中にいて、1600キロ離れたセントルイスのミズーリから、一発で僕に「この曲を弾いて」って頼まれる確率ってもう天文学的数字だよね 正直ね
これ以外にも、西川さんとプロデューサーの縁、西川さんと主演三浦貴大さんの縁、ここでは書ききれないほど、様々な縁がこの映画の裏では交差しています 原因が特定できないものを「本態性ジストニア」、脳卒中や脳炎などの後遺症として起こるものを「二次性ジストニア」と呼ぶ
志村:うん 西川さんとこの曲の出会いは、お母さんがその糸を繋いでいました
先生と時間を過ごすと同時に、自分でもひたすらリハビリをしていました 【コンサート&トーク】 ピアノとの出会いからピアニストになるまで、そしてピアニストになってからの様々な出会いや出来事を軽快なトークで紹介
10あるものを10全部、そつなくできるよりも、9できなくても、1つだけでも得意なものを見つけて、それを磨けばいいと思うんです 重度のうつ病
右手が3本なら和音、ドミソ・ミソド・ソシレ、和音ぐらい弾けるじゃないって 西川は、帰国するたび忙しい合間を縫って子供たちにピアノレッスンをしている
それだけでも、 何か運命的なものを感じますが、実はそれだけではなかったのです 僕がなんでこの話をしてるかって言ったら、1回1回失敗をしてるんです・・・!僕はそれを、「どこを見て育ててくれようとしたか」っていうところで今話をしてるんですね
みなさんもそうだと思うのですが、勉強も、椅子に座るまでが大変 ブラスバンドの顧問の先生に憧れて、15歳という遅い年齢でピアノを始めたにも関わらず、24歳で世界的ピアニストであるデイヴィッド・ブラッドショー氏に才能を見出された西川さん
15歳から3万時間もの時間をかけて練習してきたピアノが、弾けなくなった ぜひ、皆さんも映画を観て、 エンディング最後の一音まで、ぜひお楽しみください
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